連載2回目は「今年のオリックス」。シーズン序盤は好調も大型連敗が響いての4位で、3年連続Bクラスに終わった。ヘッドコーチ、監督代行を経て就任2年目の福良淳一監督(57)は、それでも来季の指揮を執ることが決定。続投の理由とは…。

 ファンは皆、ひいきチームの監督だ。勝敗に一喜一憂し、采配に物申す。その光景は居酒屋にとどまらず、ネット上でも盛ん。オリックスが今季もBクラスに沈み、福良監督への風当たりは強い。中には匿名性を盾に極端な意見も。西名弘明球団社長(73)はこれらを冷静な目で見ていた。

 「ネットにはいろいろ書いてあったよ。『福良辞めろ』とか、いっぱい。だけどウチは、またやってもらうという考えだったから」。率いた2年間とも負け越し。だが続投方針は変わらなかった。なぜか? 西名球団社長は監督に求める要素として「勝利」と「育成」を掲げ、今は育成による我慢の時期だと強調した。

 「福良はパフォーマンスをしないし、ボソッとしてるけど、1人1人の選手をよく見ている。これだけ負けたけど、選手から不満は出ない。よく見てもらっているということで納得していたんじゃないか。人柄の部分も大きいのかな。優しいだけじゃない。きついけど、公平とかね」

 球団社長の説明からは「人間力」というキーワードが浮かぶ野村克也氏は著書「名将の条件」の中で「『この人についていきたい!』と思わせる信頼できる人物を、監督に推すべきである」と記している。

 試合前。福良監督は打撃ケージ裏にとどまらない。内外野をあちこち動き、声をかける。目配り、気配りは選手との信頼関係を生んでいる。指導者以外にスカウトも4年間経験。苦労を多く知るだけに、自然と選手に目線を合わせる。

 幼少期は病気がちで、小3まで激しい運動ができなかった。高校卒業後は某社会人チームのテストに不合格。プロ入団後は猛練習で正二塁手をつかみ、選手終盤には故障と闘った。本塁クロスプレーで捕手と衝突して右膝の後十字靱帯(じんたい)を損傷。装具をつけ、鎮痛剤を1日4錠も飲んで強行出場した。今も右足は膝下がへこみ、階段を下りるのに四苦八苦する。

 15年9月某日。自宅近くの理髪店で髪を黒く染めていた。2カ月に1度は訪問する。「でないと真っ白。頭を使いすぎたかな」。日本ハムのヘッドコーチ時代、当時の梨田監督から「知恵袋」と称賛された男は冗談めかして笑った。この時、球団から電話。監督昇格を告げられた。祝福にも笑顔なく「めでたいんかな。大変や」と漏らした。自身が現役だった96年を最後に優勝から遠ざかる。険しい道のりを覚悟していた。

 宮内義彦オーナー(82)も球団の続投判断に同意する。「すべての欠陥、負けが監督のせいだとは全然思わない。こうして2年間苦しんだチームを飛躍させるのは福良監督だというのが私どもの考えです」。今世紀初頭から指揮官はめまぐるしく代わった。今は中長期的な視点。生え抜き監督の人間力を信じて再建を託す。土を耕し、種をまいて育てる。そして就任3年目。花を咲かせてくれると信じている。【大池和幸】